正しい情報を取り入れる「フェイクニュースの見分け方」

 

ネットで調べものをしていると、「明らかに眉唾ものだ」と感じるものがあります。
また、Twitterで流れてくる「美談」も「嘘くさい」と思う私がいます。

 

そんな思いから、なるべく一次情報だけを取り入れるようにしていましたが、それはそれで、知識の範囲が一気に狭まるのでどうしたものかと思っていました。

 

こんな思いをお持ちの方にオススメなのが、ジャーナリスト烏賀陽弘道さんの「フェイクニュースの見分け方」です。

 

この本の目的は以下のとおり書かれています。

 

新聞・テレビ・雑誌・書籍など「旧型マスメディア」と新興のインターネットをぶち抜いて、より精度の高い「事実(ファクト)」 を探す。そのための具体的な方法を提案する。それが本書の目的です。

 

ネットの普及により、莫大な量の情報を私達は容易に得られるようになりましたが、同時に正しい情報を見極めるのが困難になりました。そんな時に、本書は大変役に立ちます。私自身、情報の取り入れ方がかなり変わりました。

 

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そこに「根拠」はあるのか

 

著者の烏賀陽さんは「根拠を求める習慣を」と言います。

 

本書の趣旨である「マスメディアからより事実(ファクト)に近い情報を見つける」目的からすれば、オピニオンは全部捨てて良い。「根拠となる事実は提示されているか?」を先にチェックして、なければ、ゴミ箱に直行。

新聞やテレビでもインターネットでも、メディアは問わない。

 

~中略~

 

ある言論に賛同する、信じるかどうかは、その「根拠」である「事実」だけに注意を払えばいい。嫌いな、聞きたくない、信じたくない内容でも、根拠となる事実に説得力があれば、受け入れる。

自分にとって好ましい、信じたくなる内容でも、根拠となる事実に信憑性がなければ捨てる。事実に従うなら、それ以外に取るべき道はない

 

書かれていることに裏付けがあるのか、その文章を書いた発信者の単なる思いつきや妄想ではないのか、きちんとした事実がそこにあるのか、それだけを見る習慣をつけることにします。

 

また「主語がない文章、憶測が入り交じる曖昧な表現、書き手の価値判断が混じった言葉は疑いの目をむけた方が良い」とも烏賀陽さんは言います。

 

「主語がわからない文章を書くな」の他に、私は新聞社勤務時代に「絶対にやるな」と強く言われたのは「記者の勝手な価値判断が入った言葉を使うな」だった。

~中略~

例えば、私が「使ってはいけない」と命じられた言葉の例には次のようなものがある。「意気込む」「決意を語る」「胸を張る」「夢を語る」「反旗を翻す」「反発する」

いずれもコメントのカギカッコの後にくる言葉だ。本来、そういうとき「話した」「語った」「述べた」とニュートラルに書けばよい。なのにニュアンスが加えられ、読む人の印象が操作される 。

 

確かに公平性を求められるニュースで、この表現はおかしいですね。

 

この「意気込んだ」をキーワードに朝日、読売、毎日、産経新聞を2016年10月26日から1ヶ月間さかのぼって検索すると、なんと1207件も出てきた。1日に40件は使われている計算になる。

 

書き手の主観が入った文章を無意識に読んでいたら、読み手は思いっきり引っ張られ、操作されます。こんな表現が毎日大量に使われているんですね。ネガティブな表現でも同様です。

 

フェアネスな目を持つ

 

本書を読んで思ったのが、「私は、日本が良い国であってほしいという想いが強い」ということです。だから日本を必要以上に攻撃するような情報には対抗心をもち、日本を持ち上げる情報には同調し共感する事がこれまで多かったように思います。

 

 

烏賀陽さんは「ステレオタイプに沿ったストーリーは要警戒」と言います。

 

2011年3月の東日本大震災・津波・福島第一原発事故に関して今もよく現れる言説は「破滅的な災害のなか、略奪や暴動もなかった」「辛抱強く列に並んで生活必需品を待った」「お互いに助け合っていた」日本人に世界の賞賛が集まったという話である。

 

当時の私はこれだけを切り取り「日本って素晴らしい」と悦に入っていましたが、実はそうではないことが本書では書かれています。

 

原発直近に住んでいた家族から、こんな話を聞いた。

水素爆発のテレビニュースを見て、一家5人軽四輪に乗って脱出した。しかし急だったので食料や水の持ち合わせがない。商店も避難して閉まっていた。 日が暮れ、行く先もわからない。この先、水や食料が入手できるかどうかわからない。やむを得ず、やはり避難で無人になっていたコンビニから家族の食料と飲み物を失敬した。

~中略~

私が言葉から想像していた「略奪」とは趣が違う。私も同じような切羽詰まった状況に追い込まれ、無人になったコンビニを見れば「やむを得ず」何かを盗むことはあり得ると思った。

 

「遠方から金目当ての犯人が略奪するなんて日本でありえない」と思い、こんな報道を喜んで自分の中に取り入れていましたが、そうではなく、やむを得ず家族が無人のコンビニ商品を盗んだということもあるのです。

 

また、「辛抱強く並んで生活必需品を待った」というのも、そこに物資が山積みされていて充分に行き渡るのが分かっていたから奪い合いはなかったり、狭いコミュニティなので全員顔見知りだから我を出すと後から批判されるから我慢して抑えている、という背景もあるんです。

 

「報道されていないこと」に目を向けず、「こうあってほしい」という想いがあれば、は見たいようにしか見ないものだと本書を読んで改めて気付かされました。

 

本書では「報道を健全に疑うためのヒント」が沢山紹介されています。

 

大量に流れてくる情報の中で私達はいかに事実を拾ってゆくか。

 

私もこれからその能力をつけていこうと思います。
気になる方は是非手にとって何度も読んでみてください^^